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藤井風の「真っ白」の意味を考察してみた

藤井風の「真っ白」を考察してみた カルチャー

2025年2月28日に発表された藤井風の新曲「真っ白」は、ミネラルウォーターブランド「い・ろ・は・す」の新CMソングとして書き下ろされたものです。この曲はボサノバ調のリズムとアコースティックギターのシンプルなメロディが特徴的で、藤井風の穏やかで優しい歌声と見事にマッチしています。

しかし、その爽やかなサウンドの中に込められた歌詞の意味は単純ではありません。今回は「真っ白」という楽曲に込められた多層的な意味を深く掘り下げてみたいと思います。

1. 「真」が連なるサビの解釈

まず注目したいのは、サビ部分で繰り返される「真」の文字です。

真っ白な心に惹かれ
真実をさまよえば
真っ黒なところはぶち抜かれ
真新しい風にまた抱かれた

ここでは「真っ白」「真実」「真っ黒」「真新しい」と「真」という漢字が連なっています。これは偶然ではなく、藤井風が「真」という概念を強調していると考えられます。

「真っ白な心」とは、純粋さや無垢さを表現しています。幼い子どものような、一点の曇りもない純粋な心のことでしょう。私たちは年齢を重ね、様々な経験を経るにつれて、徐々に心に陰りを生じさせていきます。しかし、誰の心の中にも、まだ「真っ白な部分」は残っているはずです。

「真実をさまよう」という表現は興味深いです。「真実」とは何でしょうか。これは自分自身の本当の気持ちや、世間の波に揉まれて見失いそうになる自分の信念や意志のことなのかもしれません。その「真実」を求めてさまよい続けることで、「真っ黒なところはぶち抜かれ」る、つまり心の中の暗い部分や迷いが取り払われるのです。

そして「真新しい風にまた抱かれた」という結末は、純粋さを取り戻した心が新しい始まりに向かうことを示唆しているのではないでしょうか。

2. 別れの決断と自己犠牲

次に注目したい部分は、恋愛の文脈で読み解ける歌詞です。

好きだよ 好きだけど
離れなくちゃ 置いてかなきゃ
好きだよ 知らんけど
私たちもう そんな頃よ

ここでは、相手を好きな気持ちはあるけれど別れなければならないという複雑な心情が描かれています。「好きだよ」という素直な気持ちと「離れなくちゃ」という現実の狭間で揺れる主人公の姿が見えます。

さらに続く部分も重要です。

先にさよならするわ
悪いのはそうよいつも私でいいの
先に進まなければゴールできぬゲームなのよ

ここでは、自ら「先にさよなら」すると決意する主人公がいます。そして「悪いのはそうよいつも私でいいの」と、あえて自分が悪者になることで関係を終わらせようとする覚悟が見えます。これは自己犠牲的な愛の形を表しているのかもしれません。

また、人生を「ゴールできぬゲーム」と表現し、「先に進まなければ」ならないという認識は、立ち止まることなく常に前に進み続けなければならないという覚悟を示しています。

3. 表層的な恋愛ソングを超えて

一見するとこの曲は恋愛の別れを歌ったラブソングのように思えます。しかし、藤井風の楽曲には常にそれ以上の深い意味が込められています。

藤井風は以前から「ハイヤーセルフ(高次の自己)」という概念を自身の音楽に取り入れていると公言していることは注目に値します。「真っ白」も単なる恋愛ソングではなく、自分自身の理想の姿との対話として解釈できるのです。

「好きだよ」と語りかける対象は、実際の恋人ではなく「理想とする自分自身」と考えることもできます。そして「離れなくちゃ」というのは、理想の自分から遠ざけるような執着や心を曇らせる雑念を手放す必要性を表しているのかもしれません。

このように考えると、「真っ白」という曲は自分自身の内面と向き合い、不要なものを手放すことで新しい自分に生まれ変わる旅路を描いた曲とも解釈できます。

4. 「い・ろ・は・す」CMとの関連性

この楽曲が「い・ろ・は・す」のCMソングであることも重要です。「一点の曇りもない、透明で澄み切った水」というミネラルウォーターのイメージと、「真っ白な心」という概念は見事に重なります。

CMの「心がすーっと晴れて、もやもやしたものが流れていく」というコピーも、この楽曲の本質を捉えています。心の曇りを払い、純粋さを取り戻すという「真っ白」のテーマは、透明な水の清らかさと共鳴するのです。

5. 「白」と「黒」の対比

「真っ白」と「真っ黒」の対比も重要な要素です。これは単に色の対比ではなく、純粋さと汚れ、光と闇、希望と絶望といった二項対立を表しています。

しかし藤井風は、「真っ白」だけを賞賛し「真っ黒」を否定するという単純な構図には陥っていません。むしろ「真っ黒なところはぶち抜かれ」という表現から、そのどちらも自分の一部として認識し、受け入れた上で乗り越えていく姿勢が見えます。

「真っ白」と「真っ黒」、その両方を経験してこそ「真新しい風」を感じることができるという、人間の成長の過程が描かれているのです。

6. 春の季節感との結びつき

この曲が2025年2月末、つまり春の訪れを感じる時期にリリースされたことも意味があるでしょう。春は別れと出会いの季節であり、新しい始まりの季節です。

「真新しい風にまた抱かれた」という表現は、まさに春風に身を委ねるような感覚を想起させます。冬の終わりと共に古いものを手放し、新しい風と共に生まれ変わるという季節の移ろいが、この曲のテーマと美しく重なるのです。

結論:多層的な「真っ白」の意味

藤井風の「真っ白」は、表層的には恋愛の別れを歌った曲のようにも聞こえますが、その本質は「純粋な自分自身を取り戻す旅」を描いた曲であるといえるでしょう。

「真っ白な心」を求めて「真実」を探し続け、「真っ黒」な部分を直視し乗り越えることで、「真新しい」始まりを迎える——このプロセスは、誰もが通る人生の道のりでもあります。

藤井風は繊細な感性とメロディ、そしてあえて方言も混ぜながら等身大の言葉で、複雑な心の動きを見事に表現しています。「真っ白」という曲は、聴く者の心の状態によって様々な解釈が可能な、多層的で奥深い楽曲なのです。

爽やかなボサノバのリズムと共に流れる藤井風の歌声は、私たちに「自分らしさとは何か」という問いを静かに投げかけ続けています。そして時に立ち止まり、自分の中の「真っ白な心」と対話する大切さを教えてくれているのではないでしょうか。

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